習志野草子 chibanosato’s blog

身の回りで起こったことやふと思ったことをつらつらと

男性更年期、その後

テストステロン値が低かったので、注射すること3回だったかな、少し楽になった気もしたけど、僕の場合気休めなったくらいだったかも。ドクターによればこれで劇的に改善する人もいるそうな。ただ、いずれにせよ連用は自身のホルモンを作る力を下げることになるから、と塗り薬への変更を勧られる。

ただ、注射で気休め程度なら、塗り薬も期待薄と判断して、近所の漢方薬屋さんに相談。加味逍遙散と八味丸を処方してもらった。一年以上は続けて服用した。こちらも少し良くなったのか、気のせいか、とにかく症状を自覚して一年以上たってるので、自然治癒しつつあるのか、治療効果なのか、もう分からなくなってきた。

あれから3年以上たった今、週3〜の筋トレと、いつでも自分が気分良くいられるよう、仕事のゴタゴタは適当に鈍感力を発揮して、何とかやり過ごしている。とにかく当時は人生最大のピンチ、どん底感を味わったような時期だった。

振り返れば、医者や薬剤師に相談して悩みを共有してもらったこと、そして最後は開き直ることで、乗り切ったんじゃないかと思う。みなさんありがとう!

まさに今悩んでいる方の参考になればと。まあ生きてさえいれば何とかなるもんだ。

男性更年期

一時、テレビなど取り上げられたりして話題になってた男性更年期。最近聞かないなあ。

5〜6年前、僕にも来ました。というか当時知らなかったんで、何これ、頭は回らないし、何に対しても意欲爆下がりって感じ。ア○トークなんかでゲラゲラ笑い転げてたのに全然面白くない。感情が消えた?という感覚。うつかな?と思い心療内科に相談。薬をどっさり処方されて数ヶ月経っても変化なし。それを訴えると医者も首を捻り、うーん、、、

ある時、メンズクリニックの電車広告だったかな、とにかく東京駅近くのクリニックに行くと簡単な問診の後に男性ホルモン量を測ってみましょう、となった。

しばらくして結果を聞くと、年齢〔当時50代前半)を考えてもかなり低い数値とのこと。ホルモン補充のための注射をブスっと。これで2週間様子を見ましょうと言われる。

おっと、もう会社に着くので、続きは明日書きます。

母の難聴

昭和7年生まれの母親。

父は僕が15の時に亡くなったから、それからは女手一つで7つ上の兄と僕を育ててくれた。まあ兄貴はほぼ社会人になってけど。

僕は奥さんと共働きで、何とか2人の子供を育てたことを思うとさぞ母の一馬力でって、さぞや苦労したと思う。

そんな母も今年92歳。頭もしっかりして、足腰は、まあ弱ってはきているけど、近くのスーパーくらいなら、1人で買い物にも行ける。でも、本人から、いつ孤独死してもおかしくないとの訴えを受けて、3年前、ん?4年前かな、ともかく今は僕の家のそばの老人ホームにいる。それまでは僕の生まれ育った九州でずっと一人暮らししていた。

千葉のホームに来てからは、大体の週末には顔を出している。特に話すことはない。「どう?」「最近体がキツいっちゃ〜」と大抵こんな感じ。ちなみに僕はラムちゃん言葉で知られる北九州市の生まれで、母も親父と一緒になってから、千葉に来るまでずっと北九州暮らしだった。母はめっきりと体力が落ちたというけれども、僕が見るところ、特別衰えているようには見えない。ただ耳は遠くなった。僕も50代半ばから耳鳴りに悩んでるから、遺伝なのかなあ。いやでも90代で耳が遠いのは普通と言えば普通。ただ難聴も認知症の一因とも言われているので、聴力検査と補聴器の検討を薦める。しかし、母は乗り気でない。思い返せば若い事からあまりコミュニケーションを大切にする人じゃなかった。僕が久しぶりに母のいる実家に帰って、仕事や家族の近況を報告しようとすると被せるように「昨日〇〇君〜僕の中学時代の同級生〜のお母さんと会ったよ、〇〇君親孝行だねー、、、」あれ、嫌味?俺の話し聞いてなかった?、といつもこんない調子。

今から補聴器使ってコミニュケーション取ろうたって無理な相談なのかもしれない。元々、人の話を聞くタイプではない。でもやはり、聞かない、と聞こえないとでは認知能力への影響は随分違うのでは?

子供っぽい性格はもうそのままでいいから、せめて人の話がある程度は聞き取れる状態ではいて欲しい。面倒くさがる母を補聴器屋さんに連れていくタイミングを計っているところだ。