習志野草子 chibanosato’s blog

身の回りで起こったことやふと思ったことをつらつらと

母の難聴

昭和7年生まれの母親。

父は僕が15の時に亡くなったから、それからは女手一つで7つ上の兄と僕を育ててくれた。まあ兄貴はほぼ社会人になってけど。

僕は奥さんと共働きで、何とか2人の子供を育てたことを思うとさぞ母の一馬力でって、さぞや苦労したと思う。

そんな母も今年92歳。頭もしっかりして、足腰は、まあ弱ってはきているけど、近くのスーパーくらいなら、1人で買い物にも行ける。でも、本人から、いつ孤独死してもおかしくないとの訴えを受けて、3年前、ん?4年前かな、ともかく今は僕の家のそばの老人ホームにいる。それまでは僕の生まれ育った九州でずっと一人暮らししていた。

千葉のホームに来てからは、大体の週末には顔を出している。特に話すことはない。「どう?」「最近体がキツいっちゃ〜」と大抵こんな感じ。ちなみに僕はラムちゃん言葉で知られる北九州市の生まれで、母も親父と一緒になってから、千葉に来るまでずっと北九州暮らしだった。母はめっきりと体力が落ちたというけれども、僕が見るところ、特別衰えているようには見えない。ただ耳は遠くなった。僕も50代半ばから耳鳴りに悩んでるから、遺伝なのかなあ。いやでも90代で耳が遠いのは普通と言えば普通。ただ難聴も認知症の一因とも言われているので、聴力検査と補聴器の検討を薦める。しかし、母は乗り気でない。思い返せば若い事からあまりコミュニケーションを大切にする人じゃなかった。僕が久しぶりに母のいる実家に帰って、仕事や家族の近況を報告しようとすると被せるように「昨日〇〇君〜僕の中学時代の同級生〜のお母さんと会ったよ、〇〇君親孝行だねー、、、」あれ、嫌味?俺の話し聞いてなかった?、といつもこんない調子。

今から補聴器使ってコミニュケーション取ろうたって無理な相談なのかもしれない。元々、人の話を聞くタイプではない。でもやはり、聞かない、と聞こえないとでは認知能力への影響は随分違うのでは?

子供っぽい性格はもうそのままでいいから、せめて人の話がある程度は聞き取れる状態ではいて欲しい。面倒くさがる母を補聴器屋さんに連れていくタイミングを計っているところだ。